今月号で紹介したマンチェスター大学の研究では、プリンテッドエレクトロニクス用グラフェンインクの生体適合性評価が行われている。グラフェンは生体の主要成分の1つである炭素からできているため、生体組織との親和性はもともと高い材料であると考えられる。ただし、ナノサイズの物質が細胞などに与える影響については、よく分かっていない面が多いのも事実である。棒状のカーボンナノチューブ(CNT)がアスベスト同様に細胞に突き刺さるといった現象も知られており、生体内に取り込まれた場合のグラフェンの安全性についても、まだ結論を出せる段階ではない。本稿では、バイオ医療分野でのグラフェン応用の将来像や、生体適合性評価の現状と課題などについて概観する。
 
■バイオ医療分野でのグラフェン応用例

 優れた導電性、機械的強度、フレキシブル性、化学修飾の容易性といったグラフェンの特徴と、炭素材料であることに由来する生体との親和性を合わせて考えると、バイオ医療分野での幅広い応用可能性が期待できると言える。
 
1.生体埋め込み電極
 まず、グラフェンの導電性に着目し、生体埋め込み型の電極など、バイオエレクトロニクス用材料として利用できる可能性がある。シリコン電極やタングステン電極などを体内に埋め込んだ場合、電極の周りに瘢痕組織が形成されるため、時間の経過とともに信号が取れなくなるという問題があるが、グラフェン電極ではこうした障害が起こらないという利点があると考えられている。

 最近の事例としては、グラフェンとニューロンの接合界面の形成に成功したとするケンブリッジ大学とトリエステ大学の研究が注目される。この研究では、被覆処理なしのグラフェン電極をラットのニューロンに直接つなぐことによって、ラットの脳活動に由来する電気信号を良好なS/N比で拾うことができることが示された。また、グラフェン電極によって正常なニューロンの働きに影響が出るといった問題もないことが確認できたとしている(論文)。こうした技術を延長し、ヒトの脳神経系にも適用できるようになれば、将来的には人工的な電極の埋め込みによって、事故などによって失われた肢体切断者や肢体麻痺者の感覚機能を回復したり、パーキンソン病患者の運動能力を取り戻すといった画期的な治療法につながる可能性もある。
 
2.再生医療用足場材
 再生医療の分野では、生体組織の再生に利用される足場材として、グラフェンが注目されるようになってきている。ノースウェスタン大学らの研究チームは、多能性細胞の一種であるヒト間充織幹細胞から神経細胞、骨、軟骨、筋肉などを再生する場合に、グラフェンを主成分とするインクを用いて3Dプリンタで形成した足場材が利用できることを示した。グラフェンの足場材の下で多能性細胞が特定の組織へ分化していくが、その際には分化を促すような成長因子を追加したり、特殊な外部刺激を与える必要はなかったと報告されている(論文)。再生医療用の足場材としてグラフェンが適していることを示唆する結果であり、今後のさらなる研究開発が期待される。
 
3.生体膜模倣デバイス
 グラフェン表面に様々な分子を結合させ、化学的に修飾することができるという性質を、バイオ医療分野に応用することも考えられている。マンチェスター大学とカールスルーエ工科大学の研究チームは、生体細胞膜を模した脂質二重膜をグラフェン表面上に直接描き込む技術を開発している。この技術は、生きているヒトの細胞の代わりに、体外での実験に使用できる人工的なモデル細胞膜を提供することにより、複雑な細胞システムを理解するのに役立てることができる(論文)。こうした技術を応用することで、将来的には、目的に応じた機能を持たせたグラフェン膜デバイスを体内に送り込み、薬物送達やバイオセンシングといった用途に利用できるようになる可能性もある。
 
■生体適合性評価の課題

 上述したようなバイオ医療用途でグラフェンを利用するためには、ヒトの体内にグラフェンを取り込むことの安全性の確認が欠かせない。例えば、酸化グラフェンに関しては、細菌を酸化グラフェンで包み込むと、細菌の細胞膜に穴が開き、細菌の成長が抑制され、殺菌効果が認められることが知られている。この性質自体、医療向けに応用できるものではあるが、同時に生体に対するグラフェンの毒性を懸念させる面も持っている。

 サクロ・クオーレ・カトリック大学の研究チームは、酸化グラフェンは適量の塩といっしょに用いることで殺菌効果が最も高くなると報告している。塩が少なすぎると酸化グラフェンは細菌を包み込むことができず、塩が濃すぎると酸化グラフェンが凝集してしまい、細菌の細胞膜に穴を開ける作用がなくなるという。また、酸化グラフェンは細菌に対する殺菌作用がある一方で、ヒトの細胞に対する攻撃性はそれほどなかったとも主張している。ただし、なぜそうなるのかの仕組みについては、まだはっきりと分かっていない(資料)。

 このように、ヒトを含む哺乳類の細胞に対しては、グラフェンの毒性はそれほど認められないという主張もあるが、その仕組み自体がよく分かっていないのが現状である。また、試験管内などの実験環境(in vitro)での評価に比べて、実際の生体内(in vivo)での評価研究がまだ少ないことも問題である。ナノスケールの物質は生体に対して予期せぬ影響を与える可能性があるため、グラフェンの生体適合性については今後も、in vivoを含む慎重な評価を積み重ねていく必要がある。
 
■安全性の高いグラフェン生産技術が必要

 今後、バイオ医療分野でグラフェンを実用化していくためには、生体適合性についての評価を進めると同時に、安全性の高いグラフェン生産技術の確立が必要となる。基本的には、人間社会で長年にわたって身近な材料(鉛筆の芯など)として使われてきた黒鉛を出発材料とし、できるだけ人体に有害な化学処理などを加えずに、グラフェンを量産できるようになることが望ましい。

 こうした観点から注目されるのが、グラフェンプラットフォーム株式会社(本社:東京)が開発している天然黒鉛(または人工黒鉛)からの剥離によるグラフェン量産技術である。同社の技術では、黒鉛に処理を加え、結晶性の低いABC型積層の結晶構造を多く含む物質(グラフェン前駆体)に変換することによって、グラフェンを低コストで剥離生成することができるようになっている。同社では、このグラフェン前駆体に関連する材料特許を保有している。

 この技術は、化学的な合成プロセスを使わず、物理的処理だけで剥離することができるため安全性も高い。バイオ医療用途へのグラフェン応用を見据えた場合にも有望な生産方法であると考えられる。本格的なグラフェン量産化も進んでおり、同社技術を基にした年産1000トンのグラフェン製造設備が、今年7月に完成予定であるという。
 
【より詳細な情報】
グラフェンプラットフォーム株式会社
http://grapheneplatform.com/jp/index.html